五十鈴の舞

神仕組み

6月15日(月)より18日(木)までの4日間、友人の神谷団長(?)率いる舞踊家の加藤おりはさん一行5人が各地で舞を奉納されるため、名古屋をはじめ各地から山形に来県されました。 彼女たちの一番の目的は、五十鈴の舞を山形の大和之宮で奉納すること。 これらのことにどの様な背景があり、意味があるのか。 それらを知るものとして、私がこれから語ることは私の使命でもあるように感じます。

五十鈴の舞の復活・序章

昨年(令和7年)9月頃と記憶しています。 愛知の神谷君から天河神社で五十鈴を使った舞(五十鈴たたら舞)を奉納していた加藤おりはさんに、山形の大和之宮に五十鈴の舞という巫女舞があったことを伝えたところ、ぜひ見て舞ってみたいとおっしゃったと連絡が来ました。 これがすべての始まりでした。 正確なことは不明ですが、大和之宮では舞われなくなって二十数年になるはずです。 当時の動画での記録媒体を探してビデオテープからDVDに焼き直し、愛知に送ったのが11月でした。 それから約半年の期間を経て舞の発祥地である大和之宮を訪ねることに至ったのです。

五十鈴の舞(大和之宮)とは

山形市において、天照坐皇大御神あまてらしますすめおおみかみのご神命により安食天惠あじきてんけい(教主)により建立されたお宮が大和之宮です。 本殿は伊勢神宮の唯一神明造ゆいいつしんめいづくりを模し吉野檜でできており、左右の棟持むなもち柱に内削うちそぎの千木ちぎ、十本の鰹木かつおぎを持つ(内宮ご正宮と同じ)様式となっています。 当時類まれなる力を持ち人助けを行い、自身も求道者として宗教活動に邁進していったのが安食天惠(教主)でした。 安食教主が天女が宙を舞い踊る様を見て、その動きを巫女舞に落とし込んだものが五十鈴の舞です。 5人の天女が五十鈴を鳴らしながら、優雅に舞う5人舞ですが、一人を中心に囲みながら五十鈴の音を呼応させて波のように広がっていく音(波動)の舞でもあります。 舞が奉納されるのは、大和之宮の秋の例大祭と正月元旦の歳旦祭この2回だけで、深夜0時の御扉開扉みとびらかいひの儀式の中のみです。 したがってこの五十鈴の舞を見られるのは、斎員(祭祀において諸役に就く者)を務める職員と参列者である大和之宮役員に限られます。 それも参加するものは1週間の精進潔斎(肉断ちと禊)を終えたものに限られていました。 そのような一般の目に触れることのない秘された舞でもあったのです。 平成4年10月大和之宮例大祭時に高千穂神社の後藤宮司のご厚意で高千穂の夜神楽が山形で奉納された時、その前座として多くの人前で1度だけこの五十鈴の舞を披露したことがあります。(その時の大祭実行委員長を務めたのが私でした)

私と安食天惠(教主)との出会いは別稿に譲るとして、私は平成2年から11年まで大和之宮で信徒の会(五十鈴の会)副会長、執行委員長などを経て職員としてご奉仕した経歴を持ちます。 私の修行時代でもあり、神様に仕える私を形作った基盤はここで培われたもので間違いありません。 神谷君とは大和之宮をきっかけに出会い(平成4年)、職員としても一緒だったこともある大事な親友であり、価値観を共有する良き理解者でもあります。 大和之宮を離れた(卒業した)私は仙台に移り、そこで出会った日月神示奉賛会松の会へ合流し今に至りますが、神谷君も時期がズレますが同じく松の会に合流し太日月大神之宮建立で神主を務めます。

さて大和之宮はというと利害や人間関係に翻弄されたことも聞き及びますが、私たちが去ったあと8年位で安食教主が亡くなり……。(私たちも縁遠くなってしまいました) 教主が亡くなられた頃を最後に二十数年、五十鈴の舞は舞われなくなったそうです。 そのままでは永遠に舞われなかったことでしょう。

令和8年6月15日五十鈴の舞奉納

事前に引率の神谷団長からもらったスケジュール表に目を通し、そのハードさに不安を抱えながら6月15日、山形空港で加藤おりはさん一行を出迎えました。 みなさん気さくな方ばかりでその雰囲気に緊張が一気に解けました。 いろいろお話をしていると、みなさん私のことをよく知っていて……? 会う前から神谷君があれやこれや私のネタを吹聴していたらしく(笑) 私が飛行機好きなことまで……ご期待に応えてみなさんの乗られた飛行機の着陸を紹介します。

車に分乗すると山形市内にあるお店に移動し、山形のソールフードとも言える「冷たい肉そば」をみなさんでいただきました。 食後、宮に告げた到着時間まではみなさんのたっての希望で(苦笑) 安食教主が生前に金星人(肉体を持たず、霊的存在)と交信していた交信場所にいきました。 念の入ったことで神谷団長は金星人のUFOを呼ぶポーズまで皆に事前レクチャーしていたのでした(苦笑)。 負けずに私もUFOが現れたら行う合図をみなさんにお伝えしました(笑)。 そんな和やかな時間を過ごし、いよいよ大和之宮での五十鈴の舞の奉納です。

事前に何度か伺いこの度の協力をお願いした大和之宮の反応は、パッとしないものでした。 そんな中でも装束を着替える部屋を借りたり、音源の確保や玉串の準備などを依頼して迎えた当日です。 正直なところ、OBであり、先輩でもある私や神谷君につい甘えから愚痴など言ってしまわないか心配でした。 みなさんが着替え中拝殿の準備を進めたのですが、それらしい言動は確かにありましたが、最小限に押しとどめ、五十鈴の舞の奉納を無事行わせていただきました。

舞を終えて、思いがけず神谷君が私に感想を求めました。 私は五十鈴の舞をまた見れるとは思っていませんでした。 正直今回の奉納も厳しいものと危惧していました。 写真を見れば気づくと思いますが、道路拡幅のため拝殿が大きく削られ拝殿の中央に段差があり、柱もあります。 従来の環境ではなかったのです。 しかし、おりはさん一行はものともせず、あって当たり前のように段差を越え柱を回避し、それもごく自然にまるで何ものも障害がないように宙を舞う如く見せたのです。 感動の前に感謝でした。 それは私であり、かつまた大和之宮の大神様の感謝だったように思えます。 みなさんに感謝と感動を伝え、この舞が一般の人目に触れずにきた秘された舞であることなどお話ししお礼を述べさせてもらいました。 はからずも大和之宮を代表して言葉を発していたわけです。 舞奉納ののちは口数少なく感謝の言葉を述べていたお宮の後継者は人が変わったようで顔つきにそれが現れていました。

これは後日神谷君がおりはさん一行に五十鈴の舞の感想を聞いたところ、舞踊家なら判るけれどこの舞は人の作ったものと違うんだそうです。 普通ステップや動きにどうしても人が作ったものと分かる特徴が出るらしいのです。 しかしこの五十鈴の舞は舞っていて数を数えていても、ふっと飛んでしまうことがあり、他の舞と明らかに違うとみなさん同じような答えだったそうです。  加藤おりはさんのリンクを貼っておきます。(ORIHA KATO – 加藤おりは・スペイン舞踊家・振付家 公式サイト。加藤おりはフラメンコスタジオカルダモモ主宰。国内外の数々のイベントに出演、実力・人気ともにもっとも注目されている舞踊家。名古屋市民芸術祭舞踊部門特別賞受賞。また古代舞「五十鈴たたら舞」を復活させて、注目を集める。

神様からのご褒美

大和之宮を後にし、残りの時間楽しんでもらおうと西蔵王公園の展望台に行きました。 山形市内はおろか、明後日に予定している出羽三山の一つ月山もきれいに見渡せます。 本来なら梅雨時ですがまだ梅雨入りせず、4日間の全日程月山をきれいに見ることができました。 西蔵王から15分20分も走れば蔵王温泉です。 蔵王温泉名物の大露天風呂を堪能して岐路についた時でした。 大露天風呂を下ってすぐのところにある盃湖でみんな止まってしまいました。 「キラキラして綺麗で……」と。 みごとな景色でした。 湖があればどこでも見れる景色ではありません。 神様が喜んでいる表れのようです。 ご褒美をいただいたんですね。

後日、私の仕上げのお役目を果たすべく6月28日に酒田市にある安食天惠(教主)のお墓に詣り、この度の五十鈴の舞の復活奉納、そしてこの舞が継承されていくことを墓前に報告してきました。 歓迎してくだっさっているのを強く感じました。 大和之宮に伝えられたカゴメ歌の2番、歌詞にある「しゃらしゃら出やる……」五十鈴の音が響いていくようです。

加藤おりはさん一行の旅は続きます。 15日の大和之宮の舞奉納の翌日16日は辛酉かのととりの日なのです。 次回に続きます……。

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