元神による仕上げ (見えない神に導かれた9月)

神仕組み

9月1日(月) 朔日詣ついたちまいりを行い、ここまでお導きいただいたお礼〔それはうしお(塩)を煮詰めし上げ御塩みしおと成しご神前に献上奉告申し上げるに始まり、この御塩により夏越しの大祓いで世を、世の人々の胸騒むなさわぐ気を清め祓い、金華山黄金山の神、塩釜神社の神におろがみ奉りて後、ここ太日月大神之宮にてご神縁結びの神事を執り行わせていただくに至った実に深淵なる神仕組みに組させていただいた御礼〕を宣り上げさせていただきました。(くどくなりすみません) ブログを見ていただくと分かりますが、この一連の動き(ご神行)に私が計画したものは一つもありません

朔日詣りは私と大神様と一対一で向き合い、互いに呼応する機会を設ける意味があるのかもしれません。

さて、私が朔日詣りを行ったこの日、松の会でも大きな出来事がありました。 私たちの大切な仲間であった本間さん(私と同じく松の会世話人補佐でした)の訃報が届いたのです。 これが一つのきっかけになって事が動いていきます。

9月7日(日)家族による密葬となった本間さんの許へ、松の会月次祭後にお線香上げに行こうとの声掛けがあり、私も参加することになりました。 元会長の漆山さん、北海道から手術明けの中田さんら松の会立ち上げ期からのほぼフルメンバーが揃いました。 当日お悔やみから帰り、千葉社長宅に集合して遅い昼食を食べながら、私の祭祀離脱の説明を求める会(笑)が開かれました。 松の会の中には私が我を通して喧嘩して松の会辞めて分派し、一人で別の祭祀をやる旗揚げのように取った方もいたようです。(どこかで聞いたような話です…苦笑) ひとしきり翻意を促す説得が続いた後、その場の松の会全員一致で、今後いとーさんに祭祀一切を任せるから自由にやって、と一任されました。 また、好きな時に休んでいいし、とも、みんなに祭式礼法から祭祀の手順や祭壇の祀り方まで、覚えるからマニュアルを作って指導して欲しいとまで託されたのです。 すぐには信じられない思いでした。 今まで私の意見は通してもらえず、不本意ながらも決まった中で自分が出来ることに徹してきたのですから。 この日は途中から半ば軟禁状態のようになり、酒を飲まされ(八岐大蛇か…笑)一泊となりました。

狐につままれた思いもありましたが、冷静に考えてみると答えが見えてきます。            まず私が単に松の会の祭祀から離脱するのでは祭祀は見守ってきた者を失い、あるべき姿を補正する力を失ってしまうでしょう。 大神はその状況を許しませんでした。 あるべき姿を守り、継承していくことを私に課したのです。 またそれを松の会のメンバー全員から託されたのです。 そしてこれまで何度も伝える場を持ちながら、その場限りで忘れてしまうメンバーが、覚えるから教えてほしいと変化したのです。 私に頼らず皆が神事に携わるように自覚をもって、という神様からの導きに合致します。 私は松の会の祭祀を大神様に委ねられたわけですので逆らうことなど出来ません。 しかしこれまでと違い、皆が依存から脱却し祭祀を継承する気構えが出来たので、徐々に私は仲間に託し継承指導に力を移していくことになるでしょう。 そして私は皆さんとの祭祀から、大神様との一対一の祭祀へと軸足を移していきます

6月から始まった一連の導きによる流れは私の予想をはるかに超えて、私だけでなく松の会全員に及び、八方すべて欠けることなく神意を通した結果となりました。 元神による仕上げお見事です

文末になりますが、この仕上げに立ち会った令和7年9月度の松の会月次祭の参加者を記します。    祭主:針生、祓い師:岩澤、典儀:千葉、参列者:漆山、中田、安藤勇、安藤友、渡辺、山中、伊藤  (計10名)

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