岩戸開き 一度に開く大岩戸開きと各々の岩戸開き

日月神示

「平成」の年号は、一(イ)、八(ワ)、十(ト)と書いて「平」、『平成』をイワトナルと解き受け取った方が多くいらっしゃったのではないでしょうか。日月神示にも岩戸開きについて多く触れられています。五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあら(ろ)うが、などと神々でも検討とれんような万劫末代今まで二度無い大岩戸開きが起きることが示されています。しかしそれとは別に、それぞれの身魂相当の岩戸開いて呉れよ。とか、自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸閉めて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。等々、私たち一人一人の岩戸開きがあることを明示しています。その岩戸開きとは何なのか、過去に体験したひとつのエピソードとともに考察してみますので、皆さんが考えるきっかけにしていただけたらと思います。

それは平成28年(2016)10月9日、場所は日月神示ゆかりの千葉県成田市麻賀多神社社務所でした。その日、松の会世話人の千葉社長と私の二人で、長年親交のある「マアカタの会」さん主催の講演会に伺っていました。講演は「ときあかし版日月神示」等を出版されておられた内記正時さんでした。その講演の後半途中「先ほど私が話す前に、どなたかここで言っていましたよね。天皇様のお言葉の話されていましたよね。8月8日に今上天皇が全国民に向けてビデオメッセージ出されたでしょう。生前退位のことを主題というか……いやぁこの目の付け所すごいと思って感心してお聞きしてました。……」ここで内記さんが指摘されたどなたか言ってた話とは、後援会が始まる前に促されて挨拶した次のような私の話でした。要約すると、決して時の神様には逆らえない。今を生き、中今から感じ取ることが大事なのじゃないか。先日天皇陛下のメッセージがあり、そこにまもなく(あと2年)平成30年を迎えようとしていますとの文言がありました。これはイワトナルという平成の御代(ミヨ)が30年まではあるよと、明確に残りわずかになっていることを陛下のお言葉で示されていたのではないか。おのもおのもの岩戸は開いてますか準備は出来てますか、岩戸開きのチャンスは残りわずかですよとのメッセージではないか。などの内容の話でした。                                                         講演後、直会で皆さんと親交を深め、その日は成田に宿泊しました。そして翌日成田を出発する時それは起こりました。ホテルの駐車場は近くにある高層の駐車場だったのですが、1階の精算機の横に車を止めた時、精算機の操作パネルのシャッターが降りてしまったのです。お金どころか駐車券を入れる所もなくどうしたものかと考えていると千葉社長が「伊藤さん、開いたよ」と言うのです。いつの間にか閉じてたバーが開いているのです。でも支払いが終わってなく困っていたら、千葉社長が開いているのに何で出ないの?と聞いてきます。後ろに車も並んでおり、出るしかないかと踏ん切りつけて駐車場を出ました。半地下のような場所から通りに出ると目を開けていられないほどの異様な眩しさです。標識が読めないほど眩しく感じる中、高速のインターに向かいました。                                                                          こんなことある?何だったんだと思う?と聞かれ、はたと浮かんだのが「岩戸開き」だったのです。前日から岩戸開きについてずっと話してきて、型を踏ませられた。そう感じました。岩戸が開いているのに気づかない。開いていても物質界の執着(この場合お金)により動けない。岩戸が開いただけではだめで、自らの意思で一歩踏み出して、初めて薄暗い所から明るい所に出て自由に動けることを感じました。日月神示に今の臣民お日様明るいと思ふてゐるがお日様マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。とあります。岩戸の外は特別明るいのです。                                                                       前日、日月の神様祀る境内地で私たちの岩戸開き(その準備)の時期(平成)はまもなく終わり、次の世が近づいているメッセージを陛下のお言葉から読み解きましたと言霊に出したら、岩戸開けたら自ら岩戸の外へ出なければならないという型を与えられたのでした。                                                     令和の時代になり手遅れか、と嘆くことはありません。平成は準備(身魂磨き)に十分な期間だったのは確かですが、間に合わないわけではないと思います。なかには岩戸は開いていて気づかないだけの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐、那美の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、佛来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。私たち各々の岩戸開きと別に五度の岩戸閉めを一度に開く岩戸開きがあることが示されています。到底私たち人間の考えが及ぶものでないことは承知しています。そんな中、私が思う岩戸開き、ミロクの世のイメージです。初めの岩戸閉めは那岐、那美の尊の時です。千引きの岩で現界と幽界(霊界)を閉じ、行き来出来なくしてしまいました。この時千引きの岩に締めの縄を張っています。私は大岩戸開きの時これが外されることが重要なポイントだと思っています。ではこの縄(しめ縄)が外れるとはどういうことなのか。現界と霊界の境界がなくなるということは、日月神示にあるように、生き通しになることです。肉体(身)に死がなくなる事です。身は魂と一緒になり身魂が生き通しになる(人が次の世の神となる)のではないでしょうか。ではそれを阻んでいたものは…、肉体に死を運命付けていたのは遺伝子だと思うんです。遺伝子:ÐNAは二本のヌクレオチド鎖が二重らせん構造をしています。縄と同じです。このヌクレオチド鎖に4つの塩基が含まれています。アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4つで、この4×4の組み合わせで遺伝情報を伝えています。しめ縄に差し入れる紙垂(シデ)という紙細工をご存知でしょうか。紙垂は雷のような形で4段になっています。そしてしめ縄にはこの紙垂を4つ取付ます。まさに4×4なのです。肉体を物質界で維持するために必要だった(縛り付けていた)遺伝子が不要となる(外れる)のが此度の一度に開く岩戸開きの時ではないかと思っています。どんなふうに起こるのか、いつ開くのかなど、神々にもわからないのですから考えようがありません。しかし、いつ起きてもよいように身魂きれいにせよ、ふだんに身魂磨いておけよと、くどいほど示されているのです。                                                                     私たちは今の時を生きるなかで、神々の御活動を感じ取り、気付くことで目覚め、受け取る事が出来るようになります。                                                                                                     神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる。掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ

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