明かされる導きし神の正体 松の会の夏、8月9月

日月神示
令和6年8月4日月次祭

松の会の夏、新宮の立直しから悲しい別れ、そして私たちのお宮建立を導いていた神様の正体が20年経った今、明かされるに至ったエピソードまで、8月9月を振り返ります。

8月4日、令和6年8月の月次祭を行いました。そして月次祭終了後、大神様に一時お移り戴き、修復のため新宮から仮宮に差し替えする神事と作業を行いました。                             月次祭祭主:針生、祓い師:伊藤、典儀:岩澤、(7名)                             仮遷座祭祭式:伊藤 (9名)

本年1月、太日月大神之宮建立20年により新宮を造営し遷宮祭を行いました。(建替え)                              そして今回、再度仮宮に差し替え、新宮を手直しすることとなりました。(建直し)                       これにより、建替え建直し(立替立直し)の仕組みの型が発現することとなりました。(令和6年4月、5月の月次祭と新宮についてを参照ください)

8月お盆の最中に、3月の月次祭で祭主の大役を務めていただいたのを最後に闘病中だった斎藤佳代子さんの訃報が届きました。彼女は当宮の舞姫として神事で奉納舞の舞手を担っていただき、また探究心にも富み、お薦めした書物を何冊もすぐに読破してしまい周りを驚かせてしまうような人でした。いつも明るく皆に接して下さっていました。私たちにとって大切な友人であり、仲間でした。佳代子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

9月1日、令和6年9月の月次祭を行いました。                                        祭主:渡辺、祓い師:伊藤、典儀:千葉、 (4名)                                       今月は皆忙しくて3人だけだねと言いながら祭祀の準備をしていると、6月を最後に遠ざかっていた小泉さんが車で来られました。駆け寄って伺うと、何やら地図のようなものをお持ちくださいました。名取市で作った名取熊野三社と関連施設をまとめた地図を見つけたところ、私どもの太日月大神之宮を建立した土地は、最初に熊野新宮社が建てられた旧社地だったのが分かったので知らせに来てくれたというのです。建立から20年目で初めて知る事実に我々はただ驚くばかりでした。熊野の神様が準備して導いてくださっていたんだ、偶然ではなかったんだなと思いました。お礼を言うと小泉さんは「これだけ伝えたくて」と帰ろうとします。が、車のカギが見当たりません。車から数メートルしか動いてないので皆で探しますがありません。ピンときてこれ神隠しですよと説明します。どんなに探しても見つからないのに、後から目の前や何度も探した所からポッと出てくるんです、それが神隠しなんですよ、今日神様から足止めされたということは参拝していきなさいということですよ、と。                                                               小泉さんも参加いただき無事に9月の月次祭を4名(使命)で行うことが出来ました。                ※後日談になりますが、スペアキーを取って車に戻った小泉さんはそのキーが合わず、途方に暮れるところでしたが、無くしたはずのカギが何度も探したズボンのポケットから出てきたそうです。    他人事でなく自ら実体験させられるんです。(もちろん私もです…何度も…)

        

中央:沼ノ平(新宮旧社地) 太日月大神之宮

 明かされた大本教(出口家)との浅からぬ繋がり                                      以前(令和元年)綾部を訪問し、大本(信徒連合会)出口直子五代教主にお会いした時、綾部も三熊野を祀った土地で、ここは本宮町1の1、となりに新宮町があり、那智の名称も残っていることを伺い、私たちのお宮との類似に驚いたことがありました。そこで綾部の歴史を今回調べてみました。現在綾部には熊野新宮神社があり、遷座する前は本宮山の東麓に旧社地があったとのこと。熊野三社はいずれも本宮山を囲むようにあったことが分かりました。すると次から次へと今まで伏せられてきた神様の伏線が解き明かされていきます。現在、本宮山を囲むように大本(教)の本部があります。出口王仁三郎聖師によると、太古に素盞鳴尊(スサナルノミコト)が出雲から出てきた時に、本宮山の上に母神伊邪那美尊(イザナミノミコト)を祀り、これを熊野神社と名付けられた。その後、素盞鳴尊は紀州方面に行き、紀州にも本宮・新宮・那智の熊野三社を祀った。(「本宮山について」『昭和』昭和10年11月号)とあり、本宮村小字新宮坪の内に居住していた出口家は熊野新宮神社の氏子でした。大本神諭に明治二十五年、初発に艮の金神が、出口直を氏神様へ披露して下されと申して、直を連れ参りた折、三日目に世に御披露が在りたから…(略)とある。これを分かりやすく要約すると、艮の金神が出口直に懸かり三千世界の立替立直しの大神業を開始されたことを諸国の神々に触れ回ったのが、熊野新宮神社の神であるの意になります。

私たち松の会が太日月大神之宮を建立したその場所は、名取熊野新宮社の旧社地でした。その熊野新宮の神様こそ、大本教開祖出口直により三千世界の立替立直しの大神業が開始されたことを諸国の神々に触れ回った出口家と縁深き神様だったのです。しかも20年前当宮建立の祭祀で祭主を務め、太日月大神を神降ろし(鎮座)していただいた方が大本(信徒連合会)五代教主を支えておられた出口信一先生でした。また、さらに調べると現在綾部熊野新宮神社の宮司を務められているのが、直子五代教主、故信一先生の娘婿である出口孝樹です。信一先生がお亡くなりになる直前、綾部へお見舞いに伺った際に「神様のお仕組みを進めるのはどこの教団でもない、誰でもない、松の会の皆さんだと思います」とおっしゃられた先生の言葉に、あらためて深い意味を感じます。 すべてに熊野新宮の神様のお仕組み、意図が込められ動かされてきたことを感じます。                                                        私たちはタスキを受け取っているのでしょうか。

 

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