令和6年4月、5月の月次祭と新宮について

日月神示

しばらくお休みいただいていましたが、ちょっと鞭を入れてブログ再開いたします。週一の更新を目指しています……間空いたらごめんなさい(低頭)                                     まず今回は未投稿だった4、5月の太日月大神之宮月次祭祭祀のご報告から。

4月7日(日)月次祭                                                祭主:針生、祓い師:伊藤、典儀:岩澤、奉納舞:斎藤、(10名)                           毎年4月の月次祭は境内一面に咲き誇る“カタクリ”の花に出迎えられて行われます。                また、20年前の鎮座祭にて植樹された桜の木も時を合わせて咲き始めました。                        

 

5月5日(日)月次祭                                                祭主:安藤(友)、祓い師:伊藤、典儀:岩澤、(9名)                               お身内のご不幸のため、祭祀に参加するのを控えてこられた松の会世話人代表の千葉社長が、久しぶりに参列いたしました。式典終了後の挨拶で千葉社長は、失うものはもう何もなく、今まで以上に神様に向かいたい旨おっしゃられていました。                               

これらの他に5月26日(日)白石市の半田様田んぼにおいてお田植祭があり、翌週6月2日(日)には日月神示発祥80年記念大祭が予定されております。

太日月大神之宮は今年鎮座20周年記念大祭を執り行いました。(当ブログ20周年記念大祭参照) それに先立つ1週間前の1月28日(日)遷宮祭が行われました。新しくお宮を造営したものが出来上がり、設置していた仮宮と入れ替え、ご神魂を入れた依り代を新宮にお納めする神事です。当日、依り代をお納めしようと新宮の前に私が立ったその時、一陣の強い風が吹き、祭壇の神籬(ヒモロギ)などを薙ぎ払ったのです。私は立ちすくみ、一瞬ためらいましたが依り代を新宮に納めさせていただきました。この時はご神意を図りかねたのですが、後ほど分かりました。遷宮した新宮は、木工部分は以前のものと遜色ないものでしたが屋根(銅板葺き)の金工部分の納まりが以前の細工にほど遠く、残念な仕上がりだったのです。しかし1週間後には鎮座20周年記念大祭が迫っており、そのまま進めることになり、大神様にお詫び申し上げつつ大祭を行いました。私は大祭翌日から(実は大祭当日から)具合が悪く、発熱があり、十日近く寝込んでしまいました。それから悶々としていたのですが、5月10日に松の会世話人千葉社長とともにお宮の造営を依頼したS社の社長さんとお話させてもらい、屋根の金工細工の部分を作り直していただくことになりました。手直しは期間を十分取って準備をし、事前に手直し箇所の確認、工期日程の提示を貰い進めることにしました。これに伴い、再度仮宮設置、改めての遷宮を行います。                                             これでようやくつかえていたものが取れた気持ちです。あの時の風のご神意に添うことができるかなと思います。                                              日月神示にも示されている建替え建直しの仕組みとは一つの(一度の)仕組みではなく、建替えの仕組建直しの仕組が別々にある、ということを型示されたのではないかと感じています。

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