遷宮遷座の儀、及び節分大祭

松の会

令和7年2月2日、再度仮宮に置き換えられていた太日月大神之宮において、手直しの済んだ新宮しんみや
への遷宮遷座せんぐうせんざの儀が執り行なわれました。                                                                                                                     以前投稿した「令和6年4月、5月の月次祭と新宮について」で新宮手直しの経緯に触れました。また、「明かされる導きし神の正体 松の会の夏、8月9月」にて仮宮差し替えの神事についてご報告いたしました。そしてようやく1年遅れでここに決着をみたのです。

遷宮遷座の儀祭主:伊藤、典儀:岩澤、千葉、針生、渡辺、山中、他  (8名)

この新宮への遷宮は一昨年(令和5年)の春から準備してきたもので、昨年2月に行われた鎮座20周年記念大祭前に遷宮をする予定でした。見積もり、打ち合わせで二転三転するのですが、宮大工さんも代替わりしており、特に屋根の銅板細工の職人がいないとして当初屋根を切り離し、銅板の洗浄をして使いまわす提案でした。そのため既存のお宮を外し工房へ運搬する必要があり、その間仮のお宮を設置することになったのです。(結局のところ銅板細工できる職人見つかったからと全て新規作成のお宮に遷宮と相成ったのですが)この仮宮への遷座ではご神魂を依り代と共に一度外にお移しして、お宮の移し替えを行う提案をしたのですが、御神体に鎮座されているその状態で台座(基礎)から外し、仮宮を設置することになってしまいました。(今は亡き出口信一先生が御神体に降神、入魂して下さったのだから動かしたくない、との理由です)私は神様にご無礼になることが分かっているため、このお宮の入れ替えの祭祀には参加しませんでした。その代わり当日早朝、私一人で祭祀を行い、仮宮への移し替えにおいてのご無礼を先にお詫び申し上げ、それでも非礼があれば私をお咎め下さるようにお願いしました。そして事後報告で仮宮が台座のボルトと穴の位置が合わず、調整のため御神体を露わにしたまま1時間以上放置するという事故があったことを知りました。案の定、翌日目を覚ますと私の身体に異常を感じます。何と手足がパンパンに腫れあがって、まともに動けないのです。両手はグローブのようではしも持てません。足は靴どころか靴下も履けないありさまでした。この状態が3日ほど続き、腫れが引くまで3週間以上かかりました。                           昨年の新宮との入れ替え、遷宮祭でも大神様から新宮に入るのを拒否された顛末は既報の通りです。                                                                         そして今回万全を期して臨んだ再度の遷宮遷座の儀は快晴のなかで何の滞りなく、斎行することが出来ました。私たちはともすると神様の存在を忘れがちですが、神様をないがしろにすることの愚かさを肝に銘じ今後に生かさなければならないと強く思いました。皆さんにも教訓として似たような失敗をしないよう、お役に立てていただければ幸いと思いここに記するものです。

遷宮遷座の儀終了後、引き続き令和7年節分大祭(鎮座大祭)を行いました。

祭主:千葉、祓い師:伊藤、典儀:岩澤、(6名)

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