新嘗祭に寄せて「鶴の穂落とし」

日本と神道

私たちが「イセヒカリ」の籾米(もみまい)を手に入れたのは、マアカタの会で親交のあった高木さんからでした。当時「イセヒカリ」の籾米は一般にほとんど出回ってなく、とても貴重なものでした。伊勢神宮の御領田で台風によりコシヒカリのほとんどが倒伏する中、二株だけしっかり立ち続けた突然変異で生まれた稲が「イセヒカリ」です。この稲を育てるためかのように、その年松の会と縁を繋いでいたのが千葉信之さんでした。宮城県の登米で早くから有機栽培、無農薬に取り組んできた人でした。信之さんのご苦労で、この難しい米を毎年大神様に奉ることが出来るようになったのです。その後このお米を使って、(株)黄桜酒造さんのご協力のおかげで大吟醸にも負けない美味しい日本酒もつくりました。このお酒は一二三とも子先生のご主人一二三正治さん(松の会の特別会員と思っています)により『伊勢乃穂明』と名付けられ御神前に奉じられました。(ここまで書いてすみません、この銘酒、諸般の事情で現在製造していません。正に幻のお酒になってしまいました)またこの「イセヒカリ」現在は令和元年亡くなられた信之さんに代わって、白石市の半田さんの田んぼで育てていただいています。

以前、伊勢神宮参拝の折、当時神宮禰宜(現在鹿島神宮名誉宮司)だった上野貞文先生より、神社の祭りは米に由来しているんです、新穀を奉ずる新嘗祭が一番重要な祭りなのですとお聞きしたことがあります。自分たちでお田植の祭りをし、抜穂の祭りでいただいた新穂を御神前に奉ることができる。それも神様より賜ったというべき「イセヒカリ」をです。そしてお酒まで造ったわけです…、そこまで考えてどこかで聞いたような…、思い出したのが「鶴の穂落とし」です。

神道五部書の中の「倭姫命世記」(ヤマトヒメノミコトセイキ)に「鶴の穂落とし」という話があります。倭姫命は宮中で祀っていた八咫鏡(ヤタノカガミ)を正式に祀る場所を求め、諸国を巡り、現在の伊勢神宮を開くとともに、神を祀る年間の諸行事や作法、折符の作り方等々現在の神道祭祀の型をお定めになられた方です。(ヤマトタケルノミコトの叔母としても知られています)

第11代垂仁天皇27年秋9月、志摩国あたりから鳥の鳴き声が昼夜を問わずけたたましく聞こえる事をいぶかしがった倭姫命が人を遣わせたところ、葦原に稲一基を見つけます。根本は一基で末は千穂に茂ったものでした。その稲を白い真名鶴が咥えて回り、つついては鳴いていました。この様を聞いた倭姫命は「恐し。事問はぬ鳥すら田を作る。天照大御神に奉るものをこしらえようとする」と申され、その稲穂を抜穂させ天照大御神の御神前に縣け奉った。またその穂で清酒を作らせ奉らせた。この真名鶴を名付けて大歳神(オオトシノカミ)という。このような内容です。この一件が抜穂を御神前に奉る始めとなったとあります。

ちょっと震えがきました。神様からこの地に降ろされた「イセヒカリ」という米を育てて、抜穂し神前に奉るとともに、この米で清酒を作り奉らせていただいておりました。故事をなぞるかのようにこれら米の神事を長年にわたり続けさせていただいています。清酒を作り、奉るところまで行ってこそ、一つの型だったように思います。

「イセヒカリ」作りのバトンは引き継がれ、神事は続いていきます。

令和元年、抜穂の日に亡くなられました信之さんの丹精込めて育んだ籾米を、一般公開された皇居内大嘗宮の敷地にそっと撒いてまいりました。お役目果たされた信之さんに感謝です。                          

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