大祓詞

日月神示

令和6年大晦日に大祓いの祭祀を行いました。当日、準備中小雨が降り、祭祀中雨が止み、後片付け中再び小雨が降るという最高の背景での大祓いとなりました(祓い清め)。                                                                                  祭主(祓い師):伊藤、典儀:千葉、   (4名)

祭主が大祓詞を奏上した後、参列者ととも切麻きりぬさで祓い、人形ひとがた(形代かたしろ)に罪穢れを移して後ほど灰にいたし、祓戸四柱の神々に託して川に流しました。

 

大祓いについて日月神示には次のようにあります。地の巻第八帖よりの抜粋です。祓ひせよと申してあることは何もかも借銭しゃくせんなしにする事ぞ。借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望であるぞ。 祝詞も抜けてゐるぞ。あはなち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。青葉の巻第三帖には天地の大祓ひと呼応して国の潔斎けっさい、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果すには潔斎せねばならんのざぞ。とあります。また、水の巻第九帖に旧九月八日から大祓いのりとに天津祝詞の太のりと「一二三のりとこと」入れてのれよ。忘れずにのれよ。ともあります。これらのことを踏まえ当宮の祭祀における大祓詞は、天津罪の畔放あはなち溝埋みぞうめなど、国津罪の生膚断いきはだだち死膚断しにはだだちなどをすべて入れ、天津祝詞の太祝詞事には一二三祝詞を日月神示が示すりあげ方で三回入れて宣らせていただきました。大祓いは普段の祭祀における修祓でのお祓いと違い、日月神示にもあるように参列者のみならず、国も世界をも、広く罪穢れを祓うきわめて重要な祭祀と位置づけられます。また、神主お祓ひの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣るのぞ、今の神主宣ってないぞ…とも指摘されており心して祭祀に臨まなければなりません。私も前日より精進潔斎し万全を期して当日務めさせていただきました。(禊でかぶった冷水は過去一冷たいものでした……)                                       大祓いによって罪穢れを祓うとはどういうことなのでしょう。大祓詞の中に次の一節があります。科戸しなどの風のあめ八重雲やえぐも吹放ふきはなつ事のごとく あした御霧みぎりゆうべの御霧を朝風夕風あさかぜゆうかぜ吹払ふきはらふ事の如く 大津辺おおつべに居る大船を舳解放へときはな艫解放ともときはなちて大海原に押放おしはなつ事の如く 彼方おちかた繫木しげきが本を焼鎌やきがま敏鎌以とがまもちて打掃うちはらふ事の如くのこる罪はらじと祓給はらへたま清給きよめたまふ事を……これには、罪穢れがなくなるということは、風が吹いてきて空にかかる棚引く雲を吹き払ってしまうように、朝夕の霧を朝風夕風が吹き飛ばしてしまうように、大きな港に係留(綱で結んでいる)している大きな船を綱を解放って大海原に押し出すように、行く手をふさぐ茂った灌木を焼入れしたよく切れる鎌でさっぱりと薙ぎ払ってしまうように残る罪は無いように祓い清めますよ、というような意味があります。私たちの行く手を阻む見通しの悪さはなくなりますよ。どんなに立派な船でも港に繋いでいては船の役目は果たしません、行く手を心配しないで思い切って前に進みましょう。以前一二三とも子先生に降りた太日月大神之宮建立の日のメッセージに、猶予ゆうよ躊躇ちゅうちょ逡巡しゅんじゅんも、神の前には無用の迷妄めいもう。という箇所がありました。正に先行きの不安で立ち止まってしまうことや、躊躇すること、逡巡することは穢れであり、罪ともなることを示唆していると感じます。大祓いは罪穢れを祓うことで、祓い清まった自分にリセットし、あらためて前に進む契機を与えてくれているように思えます。

大祓いから五日後、新年令和7年を迎え初めての月次祭が行われました。私が祭主の予定でしたが身内の不幸があり、急遽欠席となってしまいました。(2月の大祭は出席予定です)

令和7年 1月5日 月次祭  祭主:岩澤、祓い師:千葉、典儀:渡辺、  (4名)

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