岩戸開きの項で「平成」の年号について触れました。イワトが隠れていました。「令和」になり、レイワの中に岩戸の一部、イワが表に(音として)出てきました。 「令」は跪(ヒザマズ)いて神意を聴く人の象形を表しています。「和」は和する意味の他に日本をも表します。さらに霊和(霊と和する)、霊輪(ゝと〇で⦿)とも受け取れます。 さて、ここまでは正に「令和」から受け取るメッセージです。しかしながら、印篭(インロウ)に記された葵(アオイ)の御紋に「ははぁーーっ」と平伏する侍を見て、あの印には特別な意味(力)があるんだなとまでは分かる外国人止まりのように思うのです。あの三つ葉葵の御紋は徳川家の家紋で、将軍の家紋で、将軍家お血筋の方しか使うことが許されず、将軍とは全国の侍の棟梁で……。このような背景を理解してこそ、印篭の葵の御紋の本当の力が解るのではないでしょうか。「令和」は、いかにして「令和」になったのか、その背景と込められた神意について触れてみたいと思います。
「令和」の出典は万葉集でした。それ以前の年号の出典はすべて中国の文献から選ばれたものでした。初めて他国の影響を排し、日本独自の古典から選りすぐられた年号こそ「令和」なのです。 私が出典の詳細を知ったのは、新しい年号を知らせる新聞記事に目を通した時です。記事によると出典は「万葉集」巻五、梅花の歌三十二首併せて序、にある以下の文。 【初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香】 初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。 現代語訳は次の通りです。 初春のめでたい月に、天気も良く風は和らぎ、梅はおしろいのように白い花を開き、蘭は香のように薫っている。 これを読んだ時、電流が走りました。こんな文章あるのでしょうか。「鏡前のこをひらき」などそのままじゃありませんか。大神よりのお言葉そのものです。つくづく日本は言霊の幸わう国ですね。
『初春の令月にして』~(初春)は始まりを感じます。これに対して秋は結果が現れる時期を表します。(令月)~月読命が連想されます(月読命は夜を治める神であり、月を読む暦の神でもあります)。『気淑く風和らぎ』~清く、浄くであり、気良くです。逆説的に気淑くなければ風は荒れるという意味が隠れています。『梅』~大本教開祖出口直のお筆先に「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世となりたぞよ。梅で開いて松で治める神国の世となりたぞよ。」とあります。『鏡前の粉を披き』~御鏡の前(即ち神前)、粉は戸(戸籍と読むように)披くは開く、梅は披く(開く)にかかります。『蘭は』~草かんむり(地平)の下に、門構えに東で日の出が隠れています。『珮後の』~背後(珮後は本来帯玉の意ですが背後)、『香を』~神を(神々しいと読むように)、『薫らす』~見えるものではなく、感じとれるもの。 このように読み取ると…。 時代はいよいよ始まりを告げています。今は月読命がお働きです。浄められたものは秋が来ても(荒れすさぶ中でも)風は和らぎましょう。梅は鏡(神)前のいくつもの閉ざされた戸を一度に開きます。さすれば夜明け前、背後(後ろの正面)に神の気配を感じられることでしょう(日の出の神のご出現)。 上記のように私は受け取りました。この背景あっての「令和」なのではないでしょうか。 出典を見れば一目瞭然ですが、何処にも「令和」は出てきません。よくぞこの文を選び、令月の令と風和らぎの和らぎを合わせ「令和」と成したものです。 年号に示されるご神意から受け取るに、(その秋)気淑く(浄く)あれば風は和らぎますよ、ということになります。令和の時代を生き抜く鍵です。これは日月神示にも再三出て来る「身魂ふだんに磨いてくれよ」に通じることです。初春から秋へと、…まもなく令和7年を迎えようとしています。