2006年の秋だったと思います。 その当時、私は事業を整理した借金の返済で、二足も三足もワラジを履いていました。 その一つが新聞配達でした。(日中は会社員として働いていました) その日も約1時間半ほどの配達を終えて、販売所への帰路についてまもなくガラガラガツーンと、乗っていた原付バイクのチェーンが外れギアに絡んでしまったのです。 もはや自力ではどうすることも出来ず、助けを呼び待つことになったのでした。 止まった時点で「ああ、呼び止められたな」と思いました。 足止めされたそのすぐ右手下に『中山鳥瀧不動尊』があったのです。 この不動尊は正面に神として祀られている神社があり、と同時にすぐ左手に仏として祀られているお堂もある、いわゆる神仏習合の神社なのです。 足止めされてピンときて、確認したら案の定!28日でした。 この神社は、私が仙台で住んでいたアパートに一番近い神社(土地神)で、毎月お不動様のご縁日である28日に新聞配り終えた早朝に参拝していた場所だったのです。 「鳥瀧不動明王様、申し訳ございません。改めて日中参拝に参ります」と申し上げ救援の軽トラックにバイクを載せ、その場を後にしました。 そのころ日々の忙しさにかまけて、神社参拝が出来ていなかったのです。 止められた場所が場所ですから、すぐにこれはお不動様の差金だと気付きました。(偶然ということはありません。すべてが必然なのです) 昼休み、昼食もとらず『中山鳥瀧不動尊』を訪れました。 参道を進んでいくと、途中身体が固まって立ち尽くしてしまいました。 いつも早朝の薄暗い時の参拝だったので、見逃していたのかもしれません。 参道に見たのは、普通なら狛犬がいる場所にいるニワトリと龍なのです。 さすがに7年近くにわたって何度も足を運び見慣れているはずの風景に、不意を突いて予想だにしないものが紛れ込んでいたのです。 現実離れしている感じでした。 これを見せたかったんだ、そう思いました。 よく見てみると、ご奉納日からまだ日が浅いのが分かりました。 鳥瀧不動尊だから鳥と龍なのか…と思い当たりました。 手水を使い、社殿に向かい手を合わせご無礼のお詫びと本日呼び止めていただいたお礼を申し上げていた時にふっと頭に浮かびました。 「鳥と龍の間を抜けて神様に会いに行く」 「いや、辰の年が始め(注1)であり、鳥(トリ)が最後だから、辰年から酉年の間を抜けないと神様のもとに行けない、ということか」 「これが今日ここに呼び寄せ伝えたかったことか」 注1:新しき御代のはじめのたつの年あれ出でましぬかくれゐし神 日月神示紫金の巻第九帖 こんな問いかけが瞬間的になされました。
神様からのお呼び出し、メッセージは不意にやってきます。 しかし、そのタイミング、意図するところには必ず意味があります。 私はこの時、次の段階(ステージ)が来ていることを感じていました。 まさにこれより3~4ヶ月後にそれまでの仕事を辞め、なかなか参加できなかった「松の会」の活動にも重きが置かれていくようになっていくのです。
私がこの時受け取った、辰年から酉年の間を抜けて(越えて)神のもとへ行く(辿り着く)というタイミングは何時なのか。 まもなく迎える令和6年は辰の年です。 私どもの太日月大神之宮はお宮を新しく(建て替え)する20周年を迎えます。