4月6日(日)穏やかな春の陽気の中、令和7年度4月の月次祭を行いました。 祭主:針生、祓い師:伊藤、典儀:安藤勇、 (6名) 毎年4月の月次祭はお宮の敷地内に咲き乱れるカタクリの花の中で行われます。松の会世話人の千葉社長がこの土地の購入を決めた時から、不動産会社の方に「ここはこの周辺で唯一カタクリの花が群生している珍しい土地なんです」と言われたそうです。そんなカタクリの花が咲きほこるのが今この時期なのです。
世話人挨拶において、千葉社長からカタクリの花の話がありました。八方の世界から〇九十を加えて十方の世界に移行する時、どうしても九(苦)の理(道)通さねばならぬとある。カタクリは以前に型苦理と書いて苦の理(道)通す型を表していると聞いたことがあります。このお宮の周りの敷地にだけ咲くということは意味のあることではないでしょうか?私たちは必ず苦の道を通らなければならない、改めてそれを深く刻んでお役を果たして行きましょう。このような内容でした。 私たちは文字どおり、カタクリ(型苦理)の花の咲く真っ只中を通る参道(産道:生れ出る道です)を行き(征き:正しい方向に行くの意)お宮(大神)のもとに至るのです。何をしに?神様を言祝ぐためにです。そこには喜びがあります。また、私たちは参道を行く時に重い荷物(祭祀の道具や供物など)を抱えて通ります。ただ通るのではないのです。ある人(身魂の掃除がまだの人)にとってはこの荷物が千座の置戸(注1.)だったりするのかもしれません。知らず知らずのうちにこの型を出していたのですね。誰にも知れんこと知らして、型して見せてあるでないか。(黄金の巻 第三十六帖) 注1.素佐鳴之尊が罪を犯して高天原を追放された時に負わされた刑。 改めて見てみるとカタクリの花は何か見えない荷を背負っているようにも見えるのです。
この日の祭祀の最後に「ひふみ・いろは神歌」の曲を流しました。心地よい風が吹き、小鳥のさえずりに若いウグイスの鳴き声も聞こえます。ふと昨年8月亡くなられた当宮の舞姫、斎藤佳代子さんの姿が浮かびました。するとお宮建立から20年を超える今日までのことが思い出されます。出口信一先生、千葉信之さん、千葉かつ子ママ、千葉勝之君……この間先に旅立った大切な人たち。お宮も建て直しを終え、ようやく落ち着きましたよ。これからも見守っていてくださいね。
これまでの歩みを総括する意味で、昨年の太日月大神之宮建立20周年記念大祭でご来賓の代表としてご祝辞をいただいた一二三とも子先生の祝辞の言葉をご紹介いたします。
『本日は、御宮建立20周年、誠におめでとうございます。 この20年間、お宮を守られた松の会 千葉正勝様 会の皆様、誠にありがとうございます。 20年の間には、様々なことがあり、守っていくことには幾多の困難があったことと存じます。 その中で、こうして20周年を迎え、記念の祭典が行われたことは、そこにお鎮まりの神様のおかげと、同時に、神様の居場所であるお宮をお守りくださった松の会の皆様のご尽力があってのことと思うと、改めて感謝と感動の想いを禁じ得ません。
それにしても、建立の祭典の日から20年経ったとはとても思えません。 20年前の2月22日、お天気の良い日だったことを覚えております。 出口信一先生が祭主、松の会の皆様が白装束で、粛々と祭典が進められていました。 記憶違いでなければ、若輩者の私が、皆様の前で、乾杯の音頭を取らせて頂きました。
あれから20年、その間、いろいろなことがありました。 東北大震災は最たるものです。皆様の中にも、被災された方が多くおられることでしょう。 ご苦労なさったことと思います。 そして、20年の間には、この世での尊い使命を全うされ、天界に戻られた方もおられます。 寂しいことではありますが、天界から私たちのことを見守り、応援してくださっていると思うと、そしていつも離れず隣にいてくれると思うと、かえって安らかな気持ちもして参ります。 いろいろな変化はありましたが、変わらずにここにお宮があることは、また大きな励みとなります。
20年前、建立に当たり神様から頂いたご神示を読んでみました。 そこに書かれているのは、神の仕組みを進めていってくれということでした。 そのため一人ひとり、己の天命を果たしてゆけということです。
そこで、己の天命を考えてみるとき、この時代に、日本と言う国に生まれたことに思いを致さずにいられません。 21世紀、大地震があり、テロや戦争があり、コロナがあり…まさに激動の時代です。 世界中が、激しく、動き続けています。 そんな時代、そんな世界だからこそ、日本という国の果たす役割の大きさ、重要性は、際立ってきます。 日本とは、大和、大なる和の国です。 和という字は平和の和、調和の和、融和の和です。
先ず、「平和の和」ですが、世界でも稀に見る戦争の少ない国です。他の国は……。 1万5千年という戦争のない平和な時代の縄文時代がありました。 日本は世界最古の国。126代、2684年にわたり、万世一系の天皇を頂いてきた国。それだけ平和であったこと、よい国であったことの何よりの証拠です。 20世紀になって何回かの戦争に巻き込まれましたが、そんなのは日本の歴史の中で特別な一時期でした。
次に「調和の和」、人と人との調和、人と自然との調和、人と霊的なものとの調和。 その表れとして、見えないものへの畏敬と感謝、それと科学技術との共存、があります。 この二つがみごとに調和しているのは日本だけでしょう。 医学や科学技術がこれだけ発達する一方で、精神的なもの・霊的なものをも忘れない先進国は、他にありません。 大和化成の社長さんは、酵素の研究をされた科学者です。その方が、実験の際に殺した無数の菌を供養するために建立した菌塚があります。 また、調和のもう一つの例として、異文化を柔軟に取り入れ、日本の元からある文化と溶け合わせ、日本の風土や伝統に合うさらに高い文化を生み出してきたことも挙げられます。 これも「調和の和」の顕れです。
最後に「融和の和」、これは宗教で見ても明らかです。神道と仏教が仲良く共存しています。 私たちは、神社にもお寺にもお参りします。クリスマスもお祝いします。 他の国々は宗教戦争ばかりです。 九州の幣立宮では五色人祭というのが行われるそうです。 五色人の面は 赤色人種(ネイティブ・アメリカン) 青色人種(アジア南部) 白色人種(ヨーロッパ人) 黒色人種 黄色人種の祖神(日本人) まさに人種に関係なく、肌の色に関係なく仲良くやってきたことを示しています。
日本はこの「和」を実践してきた国です。 そして、その「和」を世界に広げる尊いお役目、国としての使命を持っています。 日本を作られた神様の期待に応えるために、神様の願いを叶えるために、日本という国は作られ、実際に具体的に実現するために、私たち一人一人は命を授けられて、この3次元世界に生まれてきました。
その神様の願いを実現するためには、まずは一人ひとり、与えられた条件の中で、自分の出来ることをしていくことが大切です。 「和」という言葉を常に胸の中に唱えて、祈って、命を生きていけばいいのです。
長く取り留めもないご挨拶になってしまい申し訳ありません。 尊い祭典が無事に終わったことに感謝し、あとは神様と一緒に、喜びを共にする直会を楽しみましょう。』
一二三とも子先生の真っすぐな想いが伝わってきます。先に天界に戻られた方々の想いも受け止めて日々を送りたいと思います。このとも子先生の言葉は神様のメッセージでもありますし、私たち松の会の20年間の通信簿としても受け止めさせていただいております。