もう一つの祭祀の流れ (見えない神に導かれた6月)

日月神示

6月1日の大祭に合わせ、仙台市を訪問くださいましたOさん。 思えば大祭に参加されたのち、Oさんが近くにある名取熊野神社(旧熊野新宮社:私どもの太日月大神之宮の土地から移転された神社~明かされる導きし神の正体… 参照)に立ち寄り参拝したい旨お聞きし、松の会の皆と別行動した時から、その流れは示されていたのかもしれません。

正午過ぎ、太日月大神之宮の大祭を終え車で5分ほどの名取熊野神社へOさんを案内しました。  すると境内に入るなりカラスが鳴き続け、拝礼終えるころを見計らって鳴止み姿を現したのです。 熊野の神様のご眷属であるカラスが大神様との取次をしてくださっているのを感じました。 松の会では毎年正月の月次祭後、名取熊野三社を廻り新年のご挨拶をするのが恒例となっています。 Oさんを案内したこの日、私が今年正月に身内の不幸で月次祭を欠席し熊野の神様にご挨拶していなかったことに気付きました。 Oさん共々私もお導きいただいていたのです。

Oさんとの浅からぬ因縁は後々記していくことになりますが、大本、日月神示との係わりが強く働いているのが分かります。

さて、大祭を終えると私には6月大切な役目が控えていました。 夏越しの大祓いです。 準備について打合せしたいとしたところで思いがけないことが起こりました。 松の会の中で年末の大祓いは聞いたが6月の大祓いは聞いていないと言われ、それなら松の会の年間の予定にも入ってないので案内出来ない、となったのです。 (私には明確な意図があったので皆さんに承認を得ないわけはありませんでした。 大祓いをおこないます… 参照)しかしその時私は思いがけないことを提案していました。 「松の会で行わないなら、私個人の主催で行うで良いですね」 私にはもう一人の自分が言っているのを聞いているようでした。 よし、一人でやろう。 そうは決めたものの残念さと思いの通じぬもどかしさは残ります。 そんな悶々とした日々を過ごしていたところに松の会の渡辺君から電話が入りました。

塩づくりの神事                                                                                                              6月21日夏至に塩づくりをしたいので併せて神事を行ってもらえないか、という依頼でしたが 私は21日に何か予定があった気がして返事を留保しました。 直後、何とかするからやろう、と返事を返していました。 実は21日はかのととりの日だったのです。 この日、夏至かのととりの日が重なるとは私も気づいていなかったのです。 この特別な日に塩づくりを行うとは、それもその場所が宮城県の網地島で、海水から窯で煮詰めてつくるとのこと。 (宮城県塩釜市には塩土老翁神を祀る塩釜神社があり塩づくりを司っているのです) これだけ揃っているのですから神事を行わない選択はありません。

6月21日(土) かのととりの日午前11時42分夏至の時間開始で網地島塩づくり事始めの御祭を行いました。    祭主:伊藤 典儀:渡辺  参列者十数名

日本列島を世界の雛型ひながたとなす時、網地島とその北西に位置する金華山はまさに日本そのものの型となる大切な場所です。 そこで絶妙な日時で行われる神事としての塩づくり。 重要な意味がなかろうはずがありません。 太日月大神、塩土老翁神しおつちのおじのかみ産土うぶすな大神を神籬ひもろぎに神降ろしし、祝詞を奏上し祭壇の灯火をもって窯の薪に点火するものです。 この火入れの時、空に日輪が輝いているのに気づいた皆でしっかり仰ぎ見ることも出来ました。 そして一昼夜掛けて火を焚き、無事塩を手にすることに至りました。

これは後日気付いたことなのですが、網地島は東日本大震災の時最も震源に近い島(陸地)でありました。 日月神示 磐戸の巻第六帖北、南、たから出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ…、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ…とあります。 東日本大震災における津波を潮満シホミツ(玉)の働きと仮になすと、今回の海水(潮)を焚いて干しあげて塩をつくる神事は潮干シホヒル(玉)の働きを型したものと見立てるのは短絡的でしょうか。 網地島は金華山(島)の南東に位置します。 すると金華山は北の宝シホミツが隠れているのでしょうか。 山幸彦が釣り針を亡くした時に手を貸して海神のところへ導いた神が塩土老翁神であり、海神が山幸彦に釣り針と渡した宝が潮満玉と潮干玉でした。 背景が揃いすぎているではないでしょうか。  日月神示の同じ帖に此宝このたからあっぱれ、此の世の大洗濯の宝であるぞ、とあります。

夏越しの大祓い                                     このブログで以前告知していた夏越しの大祓いは私個人の主催で行うことになり、ご希望のある参加者を募るところまでいきませんでした。 申し訳ございません。                夏越しの大祓いを行わなければならない、これは1年以上前から2025年7月に大災害が起こるという予言があり、それに乗っかり我も我もと今年7月に○○が起こる、前から予言していたなどの根拠も示せないようなものがSNS界隈を中心に巷にあふれていたことに起因します。 日月神示 水の巻第十一帖に何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろうが。悪るき待つキは悪魔のキざぞ。とあります。 これを腹に入れている人は惑わされないでしょうが、日月を知らない人達やまだ腹に入れてない人はあたふたして一時避難を考えたり、備蓄したり、旅行に行かないなどと世の中がざわざわしています。 この疑心暗鬼という鬼や我よしという罪穢れを祓ってしまう必要を感じていたのが夏越しの大祓いの斎行に至っているのです。 もちろん、全国で夏越しの大祓いを行っているのですから、私一人増えただけで何が変わるのかという意見もありましょう。しかし、今の世の中のざわついている原因に祓いの力を向けることは一般的な祓いとは違うと思います。 個人の祓いの力、いかほどか、精一杯試させていただきました。                                  6月30日(月) 夏越しの大祓い 祭主:伊藤   (2名)

この大祓いの祭祀に網地島の塩が用いられました。 清めに大きな力を発揮したのは言うまでもありません。 当日は早朝の神事となったのですが、渡辺君が参加してくれたので2名で行い、神事終了後、祓い師としての作法や立ち居振舞いなど伝え、貴重な時間を持つことが出来ました。 渡辺君はこの後に続くご神行で大きな役目を果たしてくれることになります。

これら6月に生まれた流れは8月へと続き、大きなうねりとなっていくのですが、私自身はこの頃から体調が優れない時期を過ごしていました。

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